常寂光寺


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避暑地











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汗をかきながら

この場所まで、歩いて来ましたが

思わず、汗がひいていく、そんな景色に出逢えました


+常寂光寺(じょうじゃっこうじ)+

京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
右京区の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院、山号は小倉
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき
秋は全山紅葉に包まれる
その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる

平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で
安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた

歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で
小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された

アクセス 京福電気鉄道 嵐山駅 下車 徒歩20分

法金剛院


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残暑、お見舞い申し上げます











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毎日、、毎日

ほんと、暑いですね^^;

少しでも涼みたいと、蓮を愛でに行ったのですが

蚊に、たくさん刺されてしまいました^^;


皆さん、残暑厳しい毎日、ご自愛くださいませ


P.S

仕事が少し、バタついています

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+法金剛院(ほうこんごういん)+

京都市右京区花園扇野町49
花園にある律宗の寺院である、山号を五位山と称する
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は待賢門院とされる
境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧は日本最古の人工滝とされており
国の特別名勝に指定されている
法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘(ならびがおか)の東麓にある
付近には妙心寺、仁和寺などの著名寺院や史跡も多い

この地には平安初期の貴族・清原夏野(782年 - 837年)の山荘があり、夏野の死後
山荘を寺に改めたものが当寺の前身であるという
20年ほど後の天安2年(858年)、文徳天皇の発願で伽藍を建立し、天安寺と称した

その後、寺運は衰えたようだが、3世紀ほど経た平安末期の大治5年(1130年)
待賢門院(1101年 - 1145年)により再興された
待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇、後白河天皇の母である
最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが
立ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない

アクセス JR嵯峨野線 花園駅 徒歩3分

愛宕念仏寺


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懐かしい微笑











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奥嵯峨野に、ひっそりと佇む寺











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念仏寺の名に相応しく











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奉納された羅漢の数は、千二百を越えると云う











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その表情も様々な羅漢たち











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あなたの懐かしい人の顔も、きっとそこで見つかるはず











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人の思い出が、時が経てば美化させる様に











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その表情は、何処か笑っている・・・・


+愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)+

京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院、本尊は厄除千手観音
別名千二百羅漢の寺
愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる
8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい
すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失
廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した
千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した

素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年
当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した

アクセス 京都バス「愛宕寺前(おたぎでらまえ)」下車 徒歩1分

天授庵


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京男の夏











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陽射しが強かったり











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ジメジメしてたり











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汗が噴出すような日々











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そんな時は











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こんな場所で、涼みたくなる











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それが、人情ってもんでしょ











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息子も、そう思ってるはず?


+天授庵(てんじゅあん)+

京都市左京区南禅寺福地町
天授庵(てんじゅあん)は臨済宗南禅寺の塔頭である
暦応2年 (1339) に虎関師錬が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立された
戦国時代には衰退したが,慶長7年 (1602) に武将で歌人としても知られる細川幽斎により再興された
書院南庭は、杉や楓が鬱蒼と茂る池泉回遊式庭園で、明治時代に改修されているが南北朝時代の面影を残す

アクセス 京都市バス「東天王町」下車 徒歩15分

圓光寺


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霖雨(りんう)











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この雨が、この眺めと重なる


P.S

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+圓光寺(えんこうじ)+

京都市左京区一乗寺小谷町13
圓光寺(えんこうじ)は、一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院
山号は瑞巌山(ずいがんさん)、開山は三要元佶(閑室)、開基(創立者)は徳川家康

十牛の庭と呼ばれる庭園には洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある
秋は紅葉の名所となり、夜間ライトアップも行われていたが、2008年以降は休止となっている

アクセス 京都市バス 一乗寺下り松町 下車 徒歩10分

天得院


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桔梗の姫











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昔々、鶴見の山に美しい姫が住んでいました











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その鶴見の山の近くに、由布山(ゆふやま)と云う場所があり

その由布山の若き主と、鶴見山の姫は幼馴染でした











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そして、由布山の主は、秘かに鶴美山の姫に想いを寄せていて

妻に迎えたいと思っていました











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ある日、遠く久住山(くじゅうさん)の主が旅に出ました

そして、旅の途中、一夜の宿を求め鶴見の屋敷を訪れました











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そこで、鶴見の姫の美しさに心奪われた久住山の主は

「ああ、姫よ、どうか私の妻になっておくれ」と

直ぐに、自分の思いを鶴見の姫に伝えました











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鶴見の姫は、初めて経験に、その想いのたけに

心奪われてしまい、いつしか

その求婚の申し出に頷いてしまいました











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その事を知った、由布山の主は

魂を千切られる様な悲しみに包まれてしまいましたが

その悲しみに耐えて、鶴見を去る事になる姫に桔梗の花と手紙を送りました











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姫が手紙を読むと

「よその土地に行かれても、故郷の山の花を忘れないでくれ

野のすみに、咲き続ける花の事、覚えておいてくれ」と











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鶴見の姫は、幼い頃からいつも優しかった由布の事を

思い出しました

そして、いつも近くにいてくれた由布の事を

愛していた事に気付いたのです

そして鶴見山の姫と、由布山の主は結ばれました


P.S

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+天得院(てんとくいん)+

京都市東山区本町15-802
天得院は、万松山と号し、南北朝時代の正平年間(1346~1370年)に
東福寺第三十世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです
その後は、衰微していましたが、中興 大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました

慶長19年(1614年)に東福寺第二二七世 文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となり
豊臣秀吉や秀頼の五山の学僧として手厚い扱いを受けていました
そして、秀頼の請に応じ、方広寺の鐘銘を撰文することになりました
この鐘銘中に「国家安康君臣豊楽」の文字があり、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を
願うものとして家康に難詰され、天得院は取り壊されました

桃山時代に作庭されたとされる庭園は、昭和43年中根金作師の指導により一部補修され
現在に至っています
びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭に
凜と咲く桔梗の青や白の花が美しく、桔梗の寺として知られるようになりました

(天得院HPより抜粋)

詩仙堂丈山寺


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霞雨











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仏法に帰依する雨



+詩仙堂(しせんどう)+

京都市左京区一乗寺門口町27
左京区にある、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡
国の史跡に指定されている、現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺という

名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による
詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた
肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている

詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という
凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている
丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた

アクセス 京都市バス「一乗寺下り松町」下車 徒歩5分

圓徳院


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覧古考新











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雨上がりの、石と緑が織り成す美しさ

先人たちの、計算し尽くされた美意識

こういう感覚

逆立ちしたって適いません^^;


P.S

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+圓徳院(えんとくいん)+

京都市東山区下河原町530
東山区にある高台寺(臨済宗建仁寺派)の塔頭のひとつ、本尊は釈迦如来
名勝庭園と、豊臣秀吉の正室・高台院が晩年を過ごした寺として知られる

この寺は、備中国足守藩主で高台院の甥に当たる木下利房が、伏見城の化粧殿を
自らの邸に移して寺としたのに始まる
寺号の圓徳院は利房の法号からとられたものである
なお、この寺に安置されている三面大黒天は秀吉の念持仏とされる

アクセス 京都市バス 祇園下車 徒歩15分

法然院


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time difference











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時間の流れが、異なる場所


P.S

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+法然院(ほうねんいん)+

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町30
鹿ヶ谷にある浄土宗系の単立寺院である、正式な寺名は、善気山法然院萬無教寺と号するが
院号の法然院の名で知られる

寺は、鄙びた趣きをもつ、茅葺で数奇屋造りの山門と、谷崎潤一郎、河上肇、九鬼周造などの
著名な学者や文人の墓が数多く存在することで有名であり、哲学の道近くという立地も関係して
春秋の観光シーズンには、大勢の参拝者がある

本堂の本尊は阿弥陀如来坐像であり、法然上人立像なども安置されている
また、方丈にある狩野光信筆の襖絵は重要文化財に指定されている
白砂壇(びゃくさだん)は、山門を入ると両側にある白い盛り砂で、水を表わす砂壇の間を通ることは
心身を清めて浄域に入ることを意味している

アクセス 京都市バス 浄土寺下車 徒歩10分

蓮華寺


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ほら、聴こえるでしょ?











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「寂」の中にある「流」という囁きが


P.S

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+蓮華寺(れんげじ)+

京都市左京区上高野八幡町1
左京区にある天台宗の寺院、山号は帰命山(きみょうざん)
近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知られる

高野川のほとり、かつての鯖街道(国道367号線)の京都口の傍ら上高野の地にある
しかし、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院であり
応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の寛文2年(1662)に、加賀前田藩の家臣
今枝近義が再建したものである

上高野は、かつて近義の祖父、重直の庵があった土地であった
重直は、美濃国出身の武士で、豊臣秀次に仕えた後、加賀前田家に招かれた
晩年に至って得度し、宗二(そうじ)居士と号して、詩書や絵画、茶道に通じた文人として草庵を結んだ
また、仏道への帰依の念も深く、上高野の地に寺院を建立することを願っていたが、果たせずして
寛永4年(1627)に死去した
近義が蓮華寺を造営したのは、祖父の願いに応え、菩提を弔うためと考えられている

アクセス 京都交通バス 「上橋」下車 徒歩1分
プロフィール

高兄

Author:高兄
古きを訪ね、京都を知る

京都生まれ、育ち

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