天得院


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桔梗の姫











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昔々、鶴見の山に美しい姫が住んでいました











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その鶴見の山の近くに、由布山(ゆふやま)と云う場所があり

その由布山の若き主と、鶴見山の姫は幼馴染でした











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そして、由布山の主は、秘かに鶴美山の姫に想いを寄せていて

妻に迎えたいと思っていました











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ある日、遠く久住山(くじゅうさん)の主が旅に出ました

そして、旅の途中、一夜の宿を求め鶴見の屋敷を訪れました











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そこで、鶴見の姫の美しさに心奪われた久住山の主は

「ああ、姫よ、どうか私の妻になっておくれ」と

直ぐに、自分の思いを鶴見の姫に伝えました











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鶴見の姫は、初めて経験に、その想いのたけに

心奪われてしまい、いつしか

その求婚の申し出に頷いてしまいました











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その事を知った、由布山の主は

魂を千切られる様な悲しみに包まれてしまいましたが

その悲しみに耐えて、鶴見を去る事になる姫に桔梗の花と手紙を送りました











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姫が手紙を読むと

「よその土地に行かれても、故郷の山の花を忘れないでくれ

野のすみに、咲き続ける花の事、覚えておいてくれ」と











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鶴見の姫は、幼い頃からいつも優しかった由布の事を

思い出しました

そして、いつも近くにいてくれた由布の事を

愛していた事に気付いたのです

そして鶴見山の姫と、由布山の主は結ばれました


P.S

仕事が少し、バタついています

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+天得院(てんとくいん)+

京都市東山区本町15-802
天得院は、万松山と号し、南北朝時代の正平年間(1346~1370年)に
東福寺第三十世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです
その後は、衰微していましたが、中興 大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました

慶長19年(1614年)に東福寺第二二七世 文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となり
豊臣秀吉や秀頼の五山の学僧として手厚い扱いを受けていました
そして、秀頼の請に応じ、方広寺の鐘銘を撰文することになりました
この鐘銘中に「国家安康君臣豊楽」の文字があり、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を
願うものとして家康に難詰され、天得院は取り壊されました

桃山時代に作庭されたとされる庭園は、昭和43年中根金作師の指導により一部補修され
現在に至っています
びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭に
凜と咲く桔梗の青や白の花が美しく、桔梗の寺として知られるようになりました

(天得院HPより抜粋)
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