芬陀院


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(涼しくなりましたね)

三玲(みれい)さんは、云いました











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(秋めいて来ましたね)

雪舟(せっしゅう)さんは、云いました


+芬陀院(ふんだいん)+

京都市東山区本町15丁目803
東山区にある臨済宗東福寺派大本山・東福寺の塔頭(たっちゅう)である
雪舟が作庭したという庭園があることから雪舟寺とも呼ばれる
元亨年間(1321~1324)に時の関白であった一条内経(うちつね)が東福寺開山・円爾(聖一国師)の
法孫にあたる定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建
以後、今日まで摂関家の一家である一条家の菩提寺とされる
画聖として知られる雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園で、元禄と宝暦の火災などにより
一部荒廃したが,昭和12年(1937)に重森三玲(しげもりみれい)により復元された

アクセス JR奈良線 東福寺駅 下車 徒歩10分
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建仁寺


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鼓動が、高鳴る











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その瞬間











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シャッターを切る











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鼓動が、煌く











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その瞬間











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空間を切る











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鼓動が、震える











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その瞬間











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世界を重ねる











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そんな風に、カメラが撮れたなら

写真も、もっと、巧くなれるんだろうなぁ^^;


+建仁寺(けんにんじ)+

京都市東山区小松町584
東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院、山号を東山(とうざん)と号する
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である

京都五山の第3位に列せられている
俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える
山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や
漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる
また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である
寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている

正伝寺


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未来予想図











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老後は、こんな景色を眺めながら

縁側で、夫婦で語らう

こういうのも、理想だなぁ・・・・



+正伝寺(しょうでんじ)+

京都市北区西賀茂北鎮守庵町72
西賀茂にある臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺である、山号は吉祥山
寺号は詳しくは正伝護国禅寺といい、本尊は釈迦如来

文永5年(1268)、東巌慧安(とうがんえあん)が師の兀庵普寧(ごったんふねい)を開山として
烏丸今出川に創建したのがこの寺の始まりとされる
兀庵は中国(南宋)からの渡来僧で、文永2年(1265)に帰国しているが、東巖は師の兀庵を開山に
勧請したものである
寺は比叡山延暦寺の衆徒によって破却され、東巖は鎌倉の聖海寺(現存せず)に移り
同地で建治3年(1277)に没した

寺が再興されたのは弘安5年(1282)のことである
同年、賀茂社の社家・森経久の援助により寺は西賀茂の現在地に移り寺運は興隆した
室町時代には天皇家、将軍家の帰依を受けたが、応仁の乱(1467 - 1477)の兵火により衰退した
豊臣秀吉・徳川家康の援助を受け復興され、江戸時代には塔頭5寺を有していた

本堂前の枯山水の庭園は小堀遠州作と伝えられている、白壁越しに比叡山を望む借景式庭園であり
岩を用いず、白砂と刈込みのみで構成されている

アクセス 京都市バス「神光院前」バス停下車 徒歩15分

金閣寺(鹿苑寺)


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夏休みの宿題











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大人になっても、宿題に追われる・・・・











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と、云う訳ではないのですが











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子供たちが、夏休みの間に

金閣寺を訪れる











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この宿題は、終える事が出来ました^^


+金閣寺(鹿苑寺)+

京都市北区金閣寺町1
北区にある臨済宗相国寺派の寺院
寺名は足利義満の法名に因む、通称金閣寺(きんかくじ)、山号は北山
室町時代前期の北山文化を代表する建築で、1994年(平成6年)に古都京都の文化財として
世界遺産に登録された
中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称している

応永4年(1397)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築によって一新した
この義満の北山山荘は当時「北山殿」、または「北山第」と呼ばれた
邸宅とは言え、その規模は御所に匹敵し、政治中枢の全てが集約された
義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていたが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を行っていた
義満の死後、義持によって北山殿は舎利殿を残して解体されるが、義満の遺言により禅寺とされ
義満の法号「鹿苑院」から鹿苑寺と名付けられた、夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としている

アクセス 京都市バス 「金閣寺道」下車 徒歩3分

常寂光寺


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避暑地











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汗をかきながら

この場所まで、歩いて来ましたが

思わず、汗がひいていく、そんな景色に出逢えました


+常寂光寺(じょうじゃっこうじ)+

京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
右京区の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院、山号は小倉
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき
秋は全山紅葉に包まれる
その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる

平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で
安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた

歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で
小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された

アクセス 京福電気鉄道 嵐山駅 下車 徒歩20分

法金剛院


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残暑、お見舞い申し上げます











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毎日、、毎日

ほんと、暑いですね^^;

少しでも涼みたいと、蓮を愛でに行ったのですが

蚊に、たくさん刺されてしまいました^^;


皆さん、残暑厳しい毎日、ご自愛くださいませ


P.S

仕事が少し、バタついています

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+法金剛院(ほうこんごういん)+

京都市右京区花園扇野町49
花園にある律宗の寺院である、山号を五位山と称する
本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は待賢門院とされる
境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧は日本最古の人工滝とされており
国の特別名勝に指定されている
法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘(ならびがおか)の東麓にある
付近には妙心寺、仁和寺などの著名寺院や史跡も多い

この地には平安初期の貴族・清原夏野(782年 - 837年)の山荘があり、夏野の死後
山荘を寺に改めたものが当寺の前身であるという
20年ほど後の天安2年(858年)、文徳天皇の発願で伽藍を建立し、天安寺と称した

その後、寺運は衰えたようだが、3世紀ほど経た平安末期の大治5年(1130年)
待賢門院(1101年 - 1145年)により再興された
待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇、後白河天皇の母である
最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが
立ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない

アクセス JR嵯峨野線 花園駅 徒歩3分

愛宕念仏寺


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懐かしい微笑











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奥嵯峨野に、ひっそりと佇む寺











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念仏寺の名に相応しく











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奉納された羅漢の数は、千二百を越えると云う











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その表情も様々な羅漢たち











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あなたの懐かしい人の顔も、きっとそこで見つかるはず











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人の思い出が、時が経てば美化させる様に











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その表情は、何処か笑っている・・・・


+愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)+

京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院、本尊は厄除千手観音
別名千二百羅漢の寺
愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる
8世紀中頃、稱徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい
すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失
廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した
千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した

素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年
当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した

アクセス 京都バス「愛宕寺前(おたぎでらまえ)」下車 徒歩1分

天授庵


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京男の夏











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陽射しが強かったり











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ジメジメしてたり











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汗が噴出すような日々











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そんな時は











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こんな場所で、涼みたくなる











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それが、人情ってもんでしょ











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息子も、そう思ってるはず?


+天授庵(てんじゅあん)+

京都市左京区南禅寺福地町
天授庵(てんじゅあん)は臨済宗南禅寺の塔頭である
暦応2年 (1339) に虎関師錬が南禅寺を開山した無関普門の塔所(墓所)として建立された
戦国時代には衰退したが,慶長7年 (1602) に武将で歌人としても知られる細川幽斎により再興された
書院南庭は、杉や楓が鬱蒼と茂る池泉回遊式庭園で、明治時代に改修されているが南北朝時代の面影を残す

アクセス 京都市バス「東天王町」下車 徒歩15分

圓光寺


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霖雨(りんう)











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この雨が、この眺めと重なる


P.S

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+圓光寺(えんこうじ)+

京都市左京区一乗寺小谷町13
圓光寺(えんこうじ)は、一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院
山号は瑞巌山(ずいがんさん)、開山は三要元佶(閑室)、開基(創立者)は徳川家康

十牛の庭と呼ばれる庭園には洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある
秋は紅葉の名所となり、夜間ライトアップも行われていたが、2008年以降は休止となっている

アクセス 京都市バス 一乗寺下り松町 下車 徒歩10分

天得院


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桔梗の姫











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昔々、鶴見の山に美しい姫が住んでいました











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その鶴見の山の近くに、由布山(ゆふやま)と云う場所があり

その由布山の若き主と、鶴見山の姫は幼馴染でした











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そして、由布山の主は、秘かに鶴美山の姫に想いを寄せていて

妻に迎えたいと思っていました











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ある日、遠く久住山(くじゅうさん)の主が旅に出ました

そして、旅の途中、一夜の宿を求め鶴見の屋敷を訪れました











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そこで、鶴見の姫の美しさに心奪われた久住山の主は

「ああ、姫よ、どうか私の妻になっておくれ」と

直ぐに、自分の思いを鶴見の姫に伝えました











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鶴見の姫は、初めて経験に、その想いのたけに

心奪われてしまい、いつしか

その求婚の申し出に頷いてしまいました











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その事を知った、由布山の主は

魂を千切られる様な悲しみに包まれてしまいましたが

その悲しみに耐えて、鶴見を去る事になる姫に桔梗の花と手紙を送りました











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姫が手紙を読むと

「よその土地に行かれても、故郷の山の花を忘れないでくれ

野のすみに、咲き続ける花の事、覚えておいてくれ」と











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鶴見の姫は、幼い頃からいつも優しかった由布の事を

思い出しました

そして、いつも近くにいてくれた由布の事を

愛していた事に気付いたのです

そして鶴見山の姫と、由布山の主は結ばれました


P.S

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+天得院(てんとくいん)+

京都市東山区本町15-802
天得院は、万松山と号し、南北朝時代の正平年間(1346~1370年)に
東福寺第三十世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです
その後は、衰微していましたが、中興 大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました

慶長19年(1614年)に東福寺第二二七世 文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となり
豊臣秀吉や秀頼の五山の学僧として手厚い扱いを受けていました
そして、秀頼の請に応じ、方広寺の鐘銘を撰文することになりました
この鐘銘中に「国家安康君臣豊楽」の文字があり、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を
願うものとして家康に難詰され、天得院は取り壊されました

桃山時代に作庭されたとされる庭園は、昭和43年中根金作師の指導により一部補修され
現在に至っています
びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭に
凜と咲く桔梗の青や白の花が美しく、桔梗の寺として知られるようになりました

(天得院HPより抜粋)
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