圓光寺


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霖雨(りんう)











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この雨が、この眺めと重なる


P.S

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+圓光寺(えんこうじ)+

京都市左京区一乗寺小谷町13
圓光寺(えんこうじ)は、一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院
山号は瑞巌山(ずいがんさん)、開山は三要元佶(閑室)、開基(創立者)は徳川家康

十牛の庭と呼ばれる庭園には洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)と水琴窟がある
秋は紅葉の名所となり、夜間ライトアップも行われていたが、2008年以降は休止となっている

アクセス 京都市バス 一乗寺下り松町 下車 徒歩10分
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天得院


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桔梗の姫











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昔々、鶴見の山に美しい姫が住んでいました











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その鶴見の山の近くに、由布山(ゆふやま)と云う場所があり

その由布山の若き主と、鶴見山の姫は幼馴染でした











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そして、由布山の主は、秘かに鶴美山の姫に想いを寄せていて

妻に迎えたいと思っていました











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ある日、遠く久住山(くじゅうさん)の主が旅に出ました

そして、旅の途中、一夜の宿を求め鶴見の屋敷を訪れました











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そこで、鶴見の姫の美しさに心奪われた久住山の主は

「ああ、姫よ、どうか私の妻になっておくれ」と

直ぐに、自分の思いを鶴見の姫に伝えました











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鶴見の姫は、初めて経験に、その想いのたけに

心奪われてしまい、いつしか

その求婚の申し出に頷いてしまいました











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その事を知った、由布山の主は

魂を千切られる様な悲しみに包まれてしまいましたが

その悲しみに耐えて、鶴見を去る事になる姫に桔梗の花と手紙を送りました











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姫が手紙を読むと

「よその土地に行かれても、故郷の山の花を忘れないでくれ

野のすみに、咲き続ける花の事、覚えておいてくれ」と











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鶴見の姫は、幼い頃からいつも優しかった由布の事を

思い出しました

そして、いつも近くにいてくれた由布の事を

愛していた事に気付いたのです

そして鶴見山の姫と、由布山の主は結ばれました


P.S

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+天得院(てんとくいん)+

京都市東山区本町15-802
天得院は、万松山と号し、南北朝時代の正平年間(1346~1370年)に
東福寺第三十世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した東福寺五塔頭のひとつです
その後は、衰微していましたが、中興 大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興されました

慶長19年(1614年)に東福寺第二二七世 文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住菴となり
豊臣秀吉や秀頼の五山の学僧として手厚い扱いを受けていました
そして、秀頼の請に応じ、方広寺の鐘銘を撰文することになりました
この鐘銘中に「国家安康君臣豊楽」の文字があり、家康を引き裂き豊臣家の繁栄を
願うものとして家康に難詰され、天得院は取り壊されました

桃山時代に作庭されたとされる庭園は、昭和43年中根金作師の指導により一部補修され
現在に至っています
びっしりと杉苔に覆われた枯山水の庭に
凜と咲く桔梗の青や白の花が美しく、桔梗の寺として知られるようになりました

(天得院HPより抜粋)

詩仙堂丈山寺


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霞雨











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仏法に帰依する雨



+詩仙堂(しせんどう)+

京都市左京区一乗寺門口町27
左京区にある、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡
国の史跡に指定されている、現在は曹洞宗の寺院でもあり丈山寺という

名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による
詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた
肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている

詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という
凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている
丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた

アクセス 京都市バス「一乗寺下り松町」下車 徒歩5分

圓徳院


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覧古考新











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雨上がりの、石と緑が織り成す美しさ

先人たちの、計算し尽くされた美意識

こういう感覚

逆立ちしたって適いません^^;


P.S

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+圓徳院(えんとくいん)+

京都市東山区下河原町530
東山区にある高台寺(臨済宗建仁寺派)の塔頭のひとつ、本尊は釈迦如来
名勝庭園と、豊臣秀吉の正室・高台院が晩年を過ごした寺として知られる

この寺は、備中国足守藩主で高台院の甥に当たる木下利房が、伏見城の化粧殿を
自らの邸に移して寺としたのに始まる
寺号の圓徳院は利房の法号からとられたものである
なお、この寺に安置されている三面大黒天は秀吉の念持仏とされる

アクセス 京都市バス 祇園下車 徒歩15分

法然院


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time difference











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時間の流れが、異なる場所


P.S

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+法然院(ほうねんいん)+

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町30
鹿ヶ谷にある浄土宗系の単立寺院である、正式な寺名は、善気山法然院萬無教寺と号するが
院号の法然院の名で知られる

寺は、鄙びた趣きをもつ、茅葺で数奇屋造りの山門と、谷崎潤一郎、河上肇、九鬼周造などの
著名な学者や文人の墓が数多く存在することで有名であり、哲学の道近くという立地も関係して
春秋の観光シーズンには、大勢の参拝者がある

本堂の本尊は阿弥陀如来坐像であり、法然上人立像なども安置されている
また、方丈にある狩野光信筆の襖絵は重要文化財に指定されている
白砂壇(びゃくさだん)は、山門を入ると両側にある白い盛り砂で、水を表わす砂壇の間を通ることは
心身を清めて浄域に入ることを意味している

アクセス 京都市バス 浄土寺下車 徒歩10分

蓮華寺


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ほら、聴こえるでしょ?











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「寂」の中にある「流」という囁きが


P.S

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+蓮華寺(れんげじ)+

京都市左京区上高野八幡町1
左京区にある天台宗の寺院、山号は帰命山(きみょうざん)
近世初期に造営された池泉鑑賞式庭園によって知られる

高野川のほとり、かつての鯖街道(国道367号線)の京都口の傍ら上高野の地にある
しかし、もとは七条塩小路(現在の京都駅付近)にあった西来院という時宗寺院であり
応仁の乱に際して焼失したものを江戸時代初期の寛文2年(1662)に、加賀前田藩の家臣
今枝近義が再建したものである

上高野は、かつて近義の祖父、重直の庵があった土地であった
重直は、美濃国出身の武士で、豊臣秀次に仕えた後、加賀前田家に招かれた
晩年に至って得度し、宗二(そうじ)居士と号して、詩書や絵画、茶道に通じた文人として草庵を結んだ
また、仏道への帰依の念も深く、上高野の地に寺院を建立することを願っていたが、果たせずして
寛永4年(1627)に死去した
近義が蓮華寺を造営したのは、祖父の願いに応え、菩提を弔うためと考えられている

アクセス 京都交通バス 「上橋」下車 徒歩1分

宝泉院

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-3℃











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-1℃











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-2℃











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-2℃











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-1℃











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-2℃











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-3℃

この暑い季節に

体感温度が下がる、涼景が拡がります


+宝泉院(ほうせんいん)+

京都市左京区大原勝林院町187
大原にある、天台宗の寺院の一つである、観光地としても著名な三千院の参道奥にある
大原寺(勝林院)の僧坊の一つとして、長和2年(1012)に創建されたものである

庭園として盤桓園(立ち去りがたいという意)、鶴亀庭をもち、盤桓園には樹齢300年の沙羅双樹の木が茂る
樹齢700年の「五葉の松」も観光客に人気がある
こちらは京都市指定の天然記念物に指定されている、また、坊内にある「血天井」は
関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いの際に徳川家臣鳥居元忠以下数百名が
自刃した伏見城の床板であり、その霊を供養するため天井板としているものである

アクセス 京都交通バス 大原(終点)下車 徒歩15分

高桐院


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So long











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今月より、本堂改修工事の為

1年半の予定で、拝観謝絶となった高桐院さん

また、この素晴らしい景色に出逢えるまで

Good bye ではなく So long



+高桐院(こうとういん)+

京都市北区紫野大徳寺町73-1
高桐院(こうとういん)は臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭のひとつである
開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹(ぎょくほじょうそう)
正保2年(1645)に、83歳で没した忠興の遺言により、その遺歯が高桐院に埋葬された
以後細川家の菩提寺として庇護される

アクセス 京都市バス205番206番、大徳寺下車、徒歩10分

智積院


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・・・・・・・・・











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・・・・・・・











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・・・・・・・・・はっ、

言葉を発するのを、忘れてました^^;


つくづく見事な御庭でございますね



+智積院(ちしゃくいん)+

京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である
山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という
本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)である

智山派大本山として、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺
「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺及び
東京都八王子市の高尾山薬王院がある

智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた
祥雲寺という2つの寺が関係している

アクセス 京都市バス 「東山七条」下車 徒歩3分

祇王寺


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春色から夏色へ











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同じ緑でも

季節が変わり、その深さが変わっていく

そんな変化を感じながら、深く一息



+祇王寺(ぎおうじ)+

京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
右京区にある真言宗大覚寺派の仏教寺院、寺自体は尼寺である
山号は高松山、院号は往生院、本尊は大日如来
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る

また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている
その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し
1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた
苔の庭でも知られる

アクセス 京都市バス28番・91番系統 「嵯峨釈迦堂前」下車 徒歩12分
プロフィール

高兄

Author:高兄
古きを訪ね、京都を知る

京都生まれ、育ち

高兄が綴る京都雑記帳

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